スポンサーサイト

--.--.--(--:--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

トム・ウェグナー最初のサーフ体験と最初のボードの重要性①

2011.02.16(15:43)

最初のサーフ体験!!
 
 
1956年、私の母は友人たちとカルフォルニアのHermosaビーチに来ていました。暖かな夏の日でした。彼女は、ビーチにいたサーファーの少年に、ボードをちょっと貸してもらえない?と聞きました。すると「もしボードを持って海まで行けたら、好きなだけサーフィンしてしていいよ」と言われました。みんなが見ている前で、彼女は大きなウッドの塊をひっぱり上げようとしましたが、持ち上がりません。ついにギブアップして、お転婆の若かりし母のサーフィン人生はすっかり意気消沈してしまいました。
それから20年近く経ち、母に3人の子供ができた頃には、サーフィンをする機会はもっとメジャーなものになっていました。家族でオアフ南のワイキキに来た時、みんなでサーフィンのレッスンを受けることにしました。ダニーという山のように大きなハワイアンが、ビーチで基本的なことを教えてくれると、パドルをしてオフショアのとても穏やかな波へと連れて行ってくれました。我々は、ベーシックな太い、黄色のロングボードに乗っていました。彼が6インチの波に押し出すと、50メートル以上も波が運んでくれました。それはまるで魔法のようで、私は今でもその朝のことを鮮明に覚えています。母はとても満足して、ようやく”夢のサーフィン”を実現できたのでした。その後、彼女はサーフィンすることはありませんでしたが、私はそれがきっかけで、ハマったのでした。 それからまた20年ほど経って、私の最初の子供が生後3ヶ月になったとき、ワイフがサーフィンを始めたいと言い出しました。彼女は何年もブギーボーダーだったのですが、私の生活とサーフィンのスリルをシェアしたいと言い始めました。(私はサーフボードで生計を立てているのですから、サーフィンに費やしている時間は膨大なのです)今までたくさん人がサーフィンに挑戦するのを見てきましたが、みな一度でも悪い体験をすると、二度とやりたくない、と思ってしまうものです。まず最初に、私は彼女にピカピカの新しいボードをつくってやり、本当に彼女が気に入るように、できるだけサーフィンをしたいと思わせるようにしました。次に、タイミングを計って最初のレッスンに連れて行きました。最終的には、ワイキキで見られるようなとても穏やかな波をさがしました。彼女がボードに立って乗るまでに充分な余裕を持たせたのです。 それは6月のオーストラリアのBundaburgeに近いBagara Beachでした。Neilsons Beachのハウストレーラー用の駐車場で一夜を過ごし、目をさますと穏やかなひざの高さの波が海岸から50メートルのところでブレイクしていました。彼女はワックスをかけると、パドルアウトしました。私は子供を抱いて海岸に居ました。楽勝です。彼女は波に向かって狂ったようにパドルをして、自分でも驚きながらも波をキャッチしていました。波のトップが崩れるまえに、ボードに立つと、ずっと海岸まで波に乗れたのでした。次から次へと。その朝、本当にたくさんの波にのると、体を傾けて波を横切りはじめるまでになりました。彼女は完全にハイになりました。 数ヶ月後、鼻先でかすかにコーヒーの香りを感じながらまどろんでいると、ガレージでなにやら物音がするので目が覚めました。ベットルームの窓から見ると、ワイフがボードを引っ張り出してきて車に積んでいました。ベット側には熱いコーヒーがおいてありました。我々は再びサーフアドベンチャーに出掛けたのです。(これは本当にあったのです。) サーファーにとって一番重要なのは、最初に乗る波、そして最初に乗るボードです。サーファーは、ほとんどといっていいほど最初のサーフセッションを結構きちんと記憶していますし、最初のボードに関しても同じことが言えます。それ意向の記憶は、少しあいまいになります。最初のいいセッションはサーファーをその気にさせますが、一方ダメなセッションだと完全にやる気をなくさせてしまいます。年齢が上になればなるほど、その傾向は強くなります。友達がみんなサーファーであるような若者はサーフィンをせざるを得ませんが、仕事をしていて、他に趣味がある人でも、サーフィンでハイになるようなチャンスがあるのです。 私がこれを書いているのは、家族でいかにサーフィンを楽しむかということを目的にしています。(通常ーといってもみんながというわけではありませんがー男性は)サーフィンを奥さんや子供と一緒に楽しみたいものです。奥さんがサーフィンを一緒に楽しんだり、少なくともその気持ちをわかってくれているのと、全くそういうことに無関心なのとでは、大きな違いがあります。そこで、サーフィン体験を家族とシェアーしたいと思っているサーファーに私が言えることは、「チャンスを台無しにするな!」ということです。辛抱強く注意深くなることです。あなたが唯一のその鍵をにぎる張本人なのですから。 まず、最適な波を見つけること。もしそれが乗るのに小さすぎるように見えても、まだ初心者には大きすぎると思った方がいいでしょう。小さな波で、スムーズでやさしい、まずブレイクすることのないように見える波を探してください。そして2、3のいい波にのってうまくいったら、それでおしまいにしてください。サーフィン初心者は適切な筋肉がついていないので、すぐに疲れてしまいます。怪我はたいてい、疲れてしまったときや何かバカなことをしたりすると起こるものです。     
サーフィン | トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]
| ホームへ |
プロフィール

吉田新一

Author:吉田新一
7月1日生まれ/A型/神奈川県横浜市鶴見区出身/現在、藤沢市在住

日本学生サーフィン連盟(NSSA)に於いて、1986年、87年、88年度の三年連続グランドチャンピオンに輝く。平成元年(1989年)日本大学法学部卒業後、日本サーフィン連盟(NSA)1989年度の級別選手権セカンドクラスで優勝し、日本プロサーフィン連盟(JPSA)関西オープンに於いて3位に入賞、プロに転向。その後、JPSA四国オープン第7位の成績を残し、1991年には、ロングボードのプロ公認も取得する。
また、日本フィリピン間、日本インドネシア間並びに日本台湾間の友好サーフィン親善大使を務め、同時にFMラジオ(7年間)でDJをし、映画配給関連の仕事もこなす。
主な配給映画「エンドレス・サマーⅡ」「メニイ・クラシック・モーメンツ」「ステップ・イントゥ・リキッド」「マリリン・モンロー・ライフ・アフター・デス」他。
2003年度には、海外、中華人民共和国での初代サーフィンチャンピオンにも輝く。
その後、湘南、鵠沼海岸と片瀬海岸にてサーフショップを経営。更に、オーストラリア在住、1988年度のワールドチャンピオンであるバートン・リンチと組み、サーフィン映画「Ra surf across the border stories」を制作、劇場公開、DVD化しています。

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター
携帯電話用の吉田新一のモブログへGO!

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。